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2003年03月27日

濫觴

会社の若い衆と話していたら、梶原一騎を知らなかった。

マジか? 俺をからかっているんじゃないのか?
少なくとも、漫画文化の嫡子とも云える「ゲーム業界」で禄を食んでいながら、梶原一騎を知らないとはどういうことか? 梶原一騎なかりせば、鉄拳はおろか、ストリートファイター2ですら、あったかどうか疑わしい。K-1もPRIDEも存在していなかっただろうに。

そして先日、とある飲み会でアニメージュの編集長と話したトキのコト。論争、というほどでもないけれど、ちょっとした口バトルになった。俺の主張「梶原一騎は手塚治虫と同程度のエポックメイカーであった」を、彼が認めないという構図だ。そりゃそうだ。彼は「手塚治虫原理主義」で、自分は「梶原一騎原理主義」。相容れるワケがない。
いや、そりゃ俺だって漫画読み。手塚の功績はよく知っている(そういえば青山での葬儀にも参列したっけ。あれがもう14年前なのか)。ただ、第二世代にしてエポックを為すというのは、それはそれは大変なコトだと思うのですよ。そのカロリーは手塚に比肩しうるモノではないのか。

歴史の教科書は世代を下るほど厚くなる。
第二世代が翼をもって飛び立つためには、先人の呪縛から解き放たれ、むしろ踏み台にして蹴り飛ぶのが正しい姿ではないのか。
そしてそれは、無視とか無知とかとも対極に位置するのではないのか。

投稿者 tsurumy : 2003年03月27日 06:00

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