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2003年10月10日
嘘六百・第34回/「オンラインゲーム」(2)
今は昔、もう18年ほど前になるだろうか――まだ1200bpsのパソコン通信(死語)な時代に、とある草の根ネット(これまた死語)を訪れていた事がある。
そこではリアルタイムのチャットが盛んで、夜ともなれば8chあるホストのモデムはいつもbusy。常連が夜毎集い、馬鹿話に花を咲かせていたものだった。
そしてそこの常連の一人に、「姫」と呼ばれる25歳の千葉の女のコがいた。女性の数が絶対的に少ない時代だったので、かなりチヤホヤされていたと思う。コケットリィな書き込みが魅力的で、「崇拝者」を引き連れて、チャットルームに常駐していたものだ。それこそ、「あなた何時寝てるの?」という程に、24時間いつでも。
――が、一度オフ会で会ってみたら納得いった。「姫」は、推定身長140㎝に推定体重も140㎏で、B=W=H=140㎝! 喩えるなら、田村亮子選手の尻の穴に消防車のホースを突っ込んで、最大圧で放水した様な見た目のコ。
それが、例のコケットリィな喋りを目の前で使いこなす様は、幻滅というより大爆笑。
なんでも聞いた話では、小学生の頃から結婚資金として貯めていた定期預金を崩して、1ヶ月20万円以上の電話代を払っているらしい。本人はネタのつもりで嬉々として喋っていたが、想像するに、両親は娘の結婚に危惧を抱き、せめて持参金だけでも!と、定期預金を躾けたのであろう。しかし娘はそんな両親の必死な想いを無下にするかのように、全てを電話代に注ぎ込んだという次第。実生活では味わえない「男にチヤホヤされる気持ち」を味わいたいがために――。
私達、男性参加者は皆、一様に暗い気持ちを抱えながら家路についた事を覚えている。そしてオフ会以降、「崇拝者」は居なくなってしまったのだった。
以上は18年前の話だが、似たような話はインターネット時代の今でもそこらにゴロゴロ転がっていると思う。人間が人間である限り、時代に拘わらずコミュニケーションの楽しみも苦しみも同じように存在する。そしてオンライン・コミュニケーションによってのみ成立する「ゲーム」とやらは、どんなにゲームの振りをしていても本質的にゲーム(=創作)なんかじゃなく、容姿に不自由な女のコを引きこもらせて「姫」として振る舞わせ、その代償として、両親の数十年に亘る努力を無駄にする――ホストクラブであり、キャバクラであり、Q2でありテレクラであり――実生活に浸食してそれを壊す「遊び」だ。それは何も生み出さないし残さない、非生産の極み。
私は「TVゲーム娯楽」というものは、人間の脳味噌とコンピュータとをインターフェースを介して繋ぎ、その結果、脳味噌に特殊な興奮を起こさせる物だと考えている。過去31年間はずっとそうだったし、これからもそれがメインストリームだろう。接続を絶てば(多少の依存は形成されるが)、個人の存在自体を脅かす事はない。
ゲームは1日1時間、なのだ。
オンラインゲームも、そのパラダイムの上で成立すべきだと考える私は、頭が古いのだろうか?(この項、続く)
これ、どこのBBSでの話だったっけなあ…? どこぞの音楽出版社が主催していたネットだったかなあ…? 18年も前の話なので、細部についての記憶はアヤフヤだけど、でも概ね実話。
こういう、ネットにハマって定期預金を取り崩す人や、テレクラやQ2のパーティラインにハマって膨大な請求を喰らう人と、オンラインゲームにハマって生活を持ち崩す人は、なんら変わらないと思うだけど、いかがなものか?
「コミュニケーションは最大のエンタテインメントだ」と云ったのは久夛良木氏だったか。確かに、そこには人の数のだけストーリーがあり、永久機関のように汲めども尽きぬコンテンツが日々生まれている。まさに最強のエンタテインメントだ。ゲーム市場が携帯電話に食われて?縮小している傾向を見ると、まさにその感を強くする。
だけど――いや、だからこそ、コミュニケーションのみをゲーム機に載せて「これぞオンラインゲームでござい」としている現状が大いに不満なのだ。
そんなもん、もう20年も前に存在してるじゃん
同じコミュニケーションツールの土俵で戦ったら、値段も安くて手軽な携帯とかPCのチャットに勝てる道理はない。脳を発火させる付加価値があって初めて、ゲームは競合に勝てるんだし、そしてその付加価値は、ゲーム性の方法論によってしか生まれない――と、20年来「ゲーム屋ひとすじ」な俺は信じているんだけど、いかがなもんだろう。
投稿者 tsurumy : 2003年10月10日 06:00
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