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2006年02月21日

セガから「クラッシュ・バンディクー」は出ないかも?なコト

クラッシュ&パラッパ

パチスロ「クラッシュ・バンディクー」のシミュレータがセガから発売されるかも!?と思って気にかけていたのだが、一向に発表される気配がない。その上、後からリリースされるパチスロ「俺の空」のシミュレータが、3月に発売になると発表されてしまった。

推測だが、権利元のユニバーサルとの契約上、クラッシュのパチスロ・シミュレータは出せないというコトなのだろう。まったくザンネンだ。


前回のエントリーでもチラッと書いたが、「クラッシュ・バンディクー」というタイトルは、マーク・サーニーがユニバーサル・インタラクティヴ・スタジオ(当時)に在籍していた時に、制作会社ノーティ・ドッグを見出して、制作をスタートさせたモノだ。

当時のコトを思い出すと感慨深い。ロス・アンゼルスはユニバーサル・スタジオの麓に位置する、旧テキサコ・ビルの一角で細々と開発していたあの頃。しばらくしてから、インソムニアックの面々が隣りの部屋で、「ピート」という名のアクションゲームを作り始めたんだったっけ。それは後に、「スパイロ・ザ・ドラゴン」となるんだけど、それはまだまだ先の話。

マーク以外のユニバーサルの人間は、ゲームソフトのプロジェクトにはそれほど力を入れていなかったように見えた。立ち上げこそユニバーサルの予算で行われたが、後の制作費は全てSCE持ちだったし、巨額のマーケティング予算もSCE。おまけに、それらに関わるクリエイティヴも全部が全部、ノーティ・ドッグとマーク、そしてSCEのメンバーでやっていた。クラッシュ・バンディクーとユニバーサルの関わりは、単にマークがユニバーサルに所属しているというその1点だけだった。


クラッシュは世界的な大ヒットなり、続編を重ねた。

そこから徐々に、皆んなが息苦しさを感じ始めたように思う。クラッシュの売上げが、ユニバーサルの事業計画の一角を、無視できない大きさで占め始めたために、「美味しい話」だと認識されるようになったのだろう。マーク以外のユニバーサルの担当者が、金も知恵も出さない割に口を出し始めた。そのくせ、担当者は引き継ぎもせずにコロコロと辞めやがる。責任も一貫性もあったもんじゃない。

一時期は、SCEがクラッシュ・バンディクーの版権をユニバーサルから買い取るという話も進んでいたと思う。だが、ユニバーサルがとんでもない巨額を提示してきた為に、ご破算になったはずだ。上述のように、ユニバーサルは金銭面でも創造面でもほとんど貢献していなかったけれど、さすがに金の卵を産むニワトリを簡単に手放しはしない。

そして、ノーティ・ドッグとマーク、SCEは決断した。ユニバーサルから離れよう、と。

「クラッシュ・バンディクー・レーシング(Crash Team Racing)」を最後に、ノーティ・ドッグはクラッシュから手を引いた。マークはユニバーサルを辞めてサーニーゲームズを設立し、「クラッシュ・バンディクー・カーニバル(Crash Bash)」をEUROCOMに作らせたのを最後にクラッシュから手を引いた。ユニバーサルを除いた、まったく同じメンバーで、新しいゲームを創り始めるコトにしたのだ。

ユニバーサルには…コアメンバーも居なければ、ゲームを作るノウハウも無く、ましてやクラッシュ・バンディクーが何故ヒットしたのか――クラッシュをクラッシュたらしめている要素についての正確な認識は無かったのではないかと思う。ただ、クラッシュ・バンディクーの成功は世界中の制作者の間では有名だったから、クラッシュの続編を作りたがる制作会社を見つけるのは容易かったはずだ。かろうじてクラッシュの名を冠した製品は出来上がってきた。それがクラッシュ4だ。

日本では、コナミがユニバーサルと業務提携して、クラッシュ4をリリースするコトになった(きっと、ブルース・リーやらユニバーサル・モンスターズやら、いくつかのゲームと抱き合わせで扱うコトになったのだろう)。版権は全てユニバーサルのモノなので、SCEで大枚はたいて制作した着ぐるみやら画像データやら一切合切は全て、ユニバーサル経由でコナミに譲り渡した…鶴見がディレクションした図版が(色調整をミスった部分も含めて)未だに使われているのを見て、なんとも微笑ましい気持ちになってしまうコトもあったし…幾度ものユーザーテストを経て日本市場の為に変えた部分が、全く有効に活用されていない例を見つけて、気落ちしたりもした。

鶴見が日本市場向けに創り出したモノ一式は全部渡したのだが、その底に流れる日本向けのコア・コンセプトを渡すコトは出来たかどうか。鶴見は、海外ソフトを日本市場において成功させるには、日本からのクリエイティヴ提案が必要不可欠だとの持論を持っているのだが(その必要性は、クラッシュで証明されているのだが)、そうした提案が為された形跡は無い。あるいは、米ユニバーサルの「なにやらの壁」を突破するコトが出来なかったのだろう。

結果、クラッシュ・バンディクーのフランチャイズは、日本ではすっかり盛り下がってしまった。


SCEがクラッシュから手を引いた直後には、「コナミに身売りした」だの「コナミが金にモノを云わせて買い取った」だの、様々な流言が飛び交ったが、真実は斯くの如し。パチスロのクラッシュを見て、ふと思い出したので記してみた。今やクラッシュは余所の子だし、余所の子が没落しようが苦界に身を落とそうが、アッシには関わりの無いコトでござんすではあるのだけれど、何か釈然としない気持ちが、今も残る鶴見ではある。

暑かったよね、あの夏。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2006年02月21日 01:40

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コメント

そうだったんですか…。
私はこれを読んで
とても悲しい気持ちになりました。
私は マークサーニーさんやSCE、NAUGTY DOGが作ったクラッシュバンディクーがやりたいです…。
もう不可能なんでしょうか?
日本では発売されていない[crash of the Titans]は、クラッシュのキャラとは思えないような変わり方をしてしまいましたよね。
もう耐えられないです(´;ω;`)昔に戻ってほしい…。
どうしてもやりたいと思っていますが、叶わないのですか?

投稿者 針鼠 : 2008年02月10日 20:01

そんな酷いことがあったんですねぇ
多くのクラッシュファンが4以降離れていったのをファンである私は知っています
強欲な愚か者の故でこんな事になってしまうとは無念の極みです

投稿者 AZ : 2008年05月11日 22:19