« ハートに火をつけて | メイン | 嘘六百・第21回/「GDC」(完) »
2003年03月14日
嘘六百・第20回/「GDC」(5)
今回は、海外でヒットしていながら日本では受け入れられないソフトが抱えるもう一つの理由――表現の問題について書きます。
実際、日本以外では今、「Grand Theft Auto: VC」のような、バイオレンス暴力を前面に出したソフトがコンソール市場で大売れに売れていますが、日本では(PC版の一部を除いては)全く市場に現れていません。それは何故かというと――。
「ドラゴンボールZ」等の子供向けアニメが日本国外でTV放映される際に、「暴力的な」シーンがカットされる場合がある事は、皆さん御存知かと思います。日本では、未就学児ですら観ている番組なのに、ですよ!
と云っても、日本社会が暴力表現に無頓着という事では決してなく、「リアル バイオレンス現実の暴力」に対して敏感なのには変わりありません。ただ、ヒトは「死を想起させる暴力」こそをリアルに感じ、強く危険視する傾向があるので、例えば「銃」による殺傷が日本人の大半にはリアル現実的に感じられないのと同様に、長年に亘って漫画・アニメで見慣れた暴力表現もまた、死を想起させない絵空事(フィクション)だと思われている訳です。当然、世間の良識とやらの槍玉に挙がる事も(最近では)滅多にありません。これは、具体的な規制よりむしろ、世間の常識をベースに表現の自由度が決定される日本のやり方を、象徴的に表す例だと云えましょう。映画もTVもゲームも全て、細かく「レーティング(年齢区分/表現規制)」が行われている海外とはかなり異なります。
――そう、違いはレーティングなのです。
皆さんは驚かれるかもしれませんが、日本はゲーム先進国と見做されているのにも拘わらず、ゲームソフトのレーティング制度が立ち上げられたのは、昨年の10月なのですよ! ESRB(※アメリカのレーティング機関)が10年目を迎えたのとは対照的です。
勿論、各ハードメーカーやCESAは、以前から独自に倫理規定を定め、表現の自主規制を行ってきたのですが、それはあくまで「自粛」。云うならば、世間サマのお怒りを買わないように、モゾモゾと腕を縮めていたのです。
それに対してレーティング制度は、社会に堂々と認知して貰うために、社会に対して発信されるもの。むしろ表現の自由度を広げる可能性すらあります。
例えばアダルトビデオ「AV」。AV=18禁というレーティングは、日本では子供ですら知っています。日本で広く認知されている、数少ないレーティングの一つだと云えましょう。そしてそのおかげで、少なくともビデオ映像は「性表現」という自由度を持ち得ました――もっともその後、日本人の性意識のオープン化を招き、様々な功罪を生んだのですが(実は日本独自のギャルゲー・エロゲーも、その末裔なのです)。
何にせよ、レーティング制度は一般社会に認知されなければ効力はありません。ESRBは、ほぼ10年近くかけてやっと成熟し「バイオレンス」というジャンルを売り上げランキングのトップに送り出しました。しかし日本のレーティング制度は始まったばかりです。日本向けソフトでは、くれぐれも表現についてご留意いただけたらと思います。
この回のプロフィールでも書いたんだけど、元々、アメリカでのESRBレーティングシステムってのは、当時のプラットフォームホルダーだった、任天堂とセガが、(間接的に)金を出して設立されたモノだったんだよね。
まあ、当時アメリカでは「レーティングを立ち上げなければヤバかった」という、やむにやまれぬ事情があったんだけど(そうしないと、国の規制が生まれていた)、あそこでね、もし任天堂とセガが日本市場の行く末を考えて日本でのレーティングシステムの導入を投げかけていたら、また違った「日本市場」があったんだろうね。
――つうか、去年やっと立ち上がったってのは、如何なものか。
まあ、レーティングについて云いたいコトは山ほどあるけど、それは後の嘘六百で書かせてもらいましょうかね。
投稿者 tsurumy : 2003年03月14日 06:00
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.0600design.com/mt/mt-tb.cgi/55