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2003年09月26日
嘘六百・第33回/「オンラインゲーム」(1)
「大人はオンラインゲームするな!」
――と、いきなり過激な発言から入ったけど、コレ、ゲーム業界に禄を食んでいる人間が云っていい台詞じゃないよね。ましてやゲーム雑誌上ではさ。
でも私、鶴見六百は本気でそう妄想って(おもって)いるのだからしゃあない。
今を去ること西暦1457年(去り過ぎだ…)、スコットランド王ジェームズII世は、国民がゴルフに熱狂したが為に国力が落ち込んでしまった事態を憂慮して、「ゴルフ禁止令」を発布したというけれど、ツルミDC世(六百世、ね)も日本の将来を憂慮して、無制限なコミュニケーションのみを面白さの主体としたオンラインゲームの制限令を出したい気持ちで一杯だ。
だってGNP=国民総生産が下がるんだもの。
そういう意味では、夜間のオンラインゲームを禁止したタイ国の措置には、反発を覚えつつも、ちょっとだけ賛成したい気がする。国家というシステムは良くも悪くも須く富国に向かうべきなのだ。
でなければ、カウンターカルチャーとしても贅沢な嗜好品としても、「ゲーム」は容易く足場を失ってしまうのだから――。
「ブロードバンド時代」とやらが到来する遙か以前の1996年、私はSCEIの公式ウェブサイト「GARAGE」の立ち上げに参加していた。部署横断的に集まった人間が、採算を全く考えず、手弁当でコンテンツをシコシコと作っていた古き良き時代だ。
私は同じ制作部の山下信行氏(後にSCEを離れ「パンツァーフロント」等を制作した人物。ヒットメーカーの山下信行=やんまとは別人ね)と共同で、WEB上のネットゲームをプロデュースしていた。「ゲームやろうぜ」の合格チーム、リンドブルムと共に作った「ロードオブモンスターズ(ロドモン)」などは、当時としては破格のヒット数を稼いだ成功作(商業的に、ではないけれど)と云えるだろう。
そしてロドモンによって実績が出来た私達はあらためて、時間を贅沢に使い、純粋な思考実験としてネットゲームについて日夜討議を繰り返したのだ。
大半のゲームが、我々の世界の一部分を切り取って純化・モデル化した物であるように、ネットゲームもまた、ネットワーク上でのコミュニケーションをモデル化した物であるべき、というのが当時の(そして今も変わらぬ)結論だ。
例えばロドモンは私的には、Nifty Serveの荒れ場として有名だった「家庭用ゲーム機一般(FCGAMEM)」がモデルだったりする。殺伐とした雰囲気の中、正しき書き込みを続けた者のみが尊敬を勝ち得る――これをモデル化し、ゲームの「勝つ」快感とネットワーク上での自己顕示欲とをリンクさせた訳だ。
「自己顕示欲」というのは、甘美で危険な快感だ。ユーザーにとっても、制作者にとっても。なんとなれば、ゲーム性なぞ低くとも、チャットという自己顕示欲を発露できる場さえあれば、オンラインゲームらしき物は成立してしまう。私見では、そこを縛るゲーム性こそが、実世界とゲーム世界とを区切る「黄泉比良坂」なのだが――冥界に堕ち、実生活を壊してしまうユーザーのなんと多いことか。(この項、続く)
雑誌掲載時のリード文(アオリ)は、
大人はオンラインゲームやっちゃダメ!
しょせんあんなのは自己顕示欲の吐き出し口なだけ
というものだったけど、2行目は俺の意図とはちょっと外れてるな。
ゲーム性の観点からすれば、プレイヤーは褒賞によってプレイが動機づけられる。なので、褒賞の質が高い事は、ゲームとしては必要条件なワケだ。
そして「自己顕示」というのは、プレイヤーが褒賞として最も喜ぶもののウチの一つだと考えられている。
ゲーム制作者として、プレイヤーの自己顕示欲を満たす事を褒賞とするのは、ごく当然のデザイニングなのだ。
ただ、それを無自覚に頼った「非ゲーム」が、ゲームと一緒くたにされるのに、我慢ならないのだ。デザイン不在の、チャットソフト。これはゲームではないだろう。褒賞のバラまきは、ゲームの破壊だとすら云える…と考えている。
投稿者 tsurumy : 2003年09月26日 06:00
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