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2004年01月30日
嘘六百・第41回
年頭にあたって気を引き締め直す意味も込め、あらためて「CESAゲーム白書」を読み、妄想に耽ってみた。
成長産業の旗手であったゲーム産業にも翳りが見え、国内向けソフトの出荷額はピーク時の6割近くまで落ち込み、しかもプレイ人口も減っていると云う。
が、そんな事は、現場で仕事をしていれば嫌でも肌で感じるし、そもそもプレステバブル期の水準が高すぎたのだとも云える。低成長なら低成長なりの生き延び方はあるのだし、それを問題視している訳ではない。私が背筋を寒くしているのはむしろ、年齢分布(デモグラフィー)と、それらの層が購入するソフトの傾向に対してだ。
ここからは私見も混じるが――市場の中心を担っているのは依然としてファミコンの洗礼を受けた世代であり、彼ら(私ら)は曲がりなりにもゲームの多様性を支えているように見える。
しかしその下のゲームボーイ+ポケモン世代にとっては、ゲームとはそれほど多様性のある物では無く、むしろキャラクター商品であり学校での流行物(=コミュニケーション・ツール)であり――しかし、それ以上の物では無いのではないか。
このままではいずれGBAを「卒業」し、ごく少数の好き者を除いては、その後はゲームをやり続ける事も無いのではないか。
もっと云うなら、「将来、ゲーム業界に進んでくれないのではないか?」
裾野が広い程、頂上も高い。子供のサッカー人気が巡り巡って、日本をW杯決勝に出場させたように、ファミコン人気が日本ゲーム産業のレベルを底上げした事に異論を唱える者はいまい。ならば逆に、子供に「卒業」されてしまったなら、次代のゲーム業界は、ずいぶんとお寒い物に成り下がってしまうだろう。そして近年その傾向が看て取れる――と考える私は、悲観論に過ぎるのだろうか?
話は変わり、新年会の帰りにタクシーに乗った時の事。運転手さんに嘘六百を吹き込むのが好きな質の私は、その時も、こう口火を切ったのだった――
鶴見「いやもう休めるのは正月だけですよ」
運転手「(ダルそうに)お客さん、何の仕事?」
鶴見「ゲーム作ってるんです。TVゲーム」
運転手「(興味なさそうに)ほほう、TVゲームねえ――さぞかし儲かるんだろうね?」
鶴見「ええ、儲かりますよー。年末に発売になった『ポッケモン・エグゼ2』ってゲーム作ったんですけど、100万本売れたから、ボーナスも5千万円位ですかねー…でもウチの会社で『グランツーリスモ』って車ゲーム作った奴は、納税額が1億6千万ですよ、チーム全員が。私なんて子供の頃からゲームばっかやってて叱られてたクチですけど、元は十分取りましたかね。両親にお年玉100万ずつあげちゃいましたし! 儲かりますよー!」
運転手「(途端に目を輝かせて)ほほう! そんなに儲かるんだったら、ウチの息子にも、どんどんゲームやらせてみようかね!
――なあ、兄ちゃんの作ったゲーム、息子に買ってくよ! なんてんだっけ?」
鶴見「『ラチェット2』って名前です――!」
今年も早速、次代のゲーム業界に
貢献致しましたヨ!(実話)
この間も、会社の人間とこんな話をしたのであった。
「今のゲームって、20年経ったとしても『ファミコンミニ』みたいな価値は付かないよね」
今のゲーム購買の中心を担っている「ファミコン世代」ってのは、やっぱり特殊な世代なんだと思う。「ビデオゲーム」という、全く新しいオモシロ文化が生まれ、拡散し、収斂してゆく様をリアルタイムで見続けた世代。彼らが「あの時」に体験した興奮は、世代特有の物であり、今の子供は、決して同じ興奮を味わっているワケではない――それを忘れちゃいけないと思う。
ファミコン世代相手のお得意様商売ばっかり続けてると、いつか衰退しちゃうよ、ゲーム業界。
それこそ、シューティングゲームのように。対戦格闘ゲームのように。
投稿者 tsurumy : 2004年01月30日 06:00
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