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2005年02月12日

18年後に果たされた「ラジアメ」の約束のコト

つい最近、「鳥取県の歌」の作者からメールがあった。なんと18年もの時を隔てて(!)約束を果たしていただいたコトになる。感無量だ。こんなコトってあるんですなあ。


1980年代の前半に、「ラジアメ」という伝説的なラジオ番組があった。キー局はTBS。

正式名称は「大橋照子のラジオはアメリカン」と云い、提供はナムコ。当時のゲームファンの間では絶大な聴取率を誇り、30代以上のオールドゲーマーならば、この番組のみで流されたナムコのCMの数々が、今でも耳に残っているコトであろう。『ドルアーガの塔』のゲームオーバーに合わせて

♪ゲームは、ナムコ~

と呟いちゃうソコのアナタ。そう、アナタのコトです。

ついでに云えば、小林克也の物真似で「TV Game, No.1!」ってカウントダウン始めちゃう人とか(ディグダグ)、「鈴鹿サーキット」の「ズ」にアクセントを置いちゃう人とか(ポールポジション2)、「リブルとラブルで囲もう 見つけてバシシ」って口ずさめちゃう人とか、CMネタは尽きないんだけど涙を呑んで割愛。

で、ラジアメの人気コーナーに「おもカセ」(おもしろカセットベスト5)というのがあった。リスナーから送られた、自作の歌とかコントとか、その他ノンジャンル何でもアリの、面白いネタのカセットテープを紹介するコーナーだ。

例えば、リスナーが勝手にアレンジした、「サザエさん」のテーマ曲の数々。マイナー調にアレンジした「陰気なサザエさん」もあれば、必殺仕事人の殺人道具SEが飛び交いトランペットが鳴り響く「必殺サザエさん」など数十曲もあり、後に「ラジアメファンの集い」でも頒布されたほどの名ネタだ(ちなみに頒布版では、B面に中潟憲雄氏自らによる「源平討魔伝」アレンジ版が収録された)。

例えば、「ビバ!クイズ」。富山ローカルの子供クイズ番組なのだが、続出する珍回答っぷりはリスナーを笑いと涙のズンドコに落とし込んだものだ(→珍回答集)。

例えば、「動物園の歌」。

(陰気なメロディにのせて)
動物園に行きました
アザラシ一匹おりました
背中に何か付いているよ
どうやらアレはアザらしい

とあるリスナーが送ってきた歌が大ウケで、その後、「どうやらあれは、**らしい」で終わる「動物園の歌シリーズ」がラジアメを席巻したり。


――ああ、いかん。全然本題に進まない。

でだ。

1982年上半期の「おもカセ・グランプリ」に選ばれた作品こそが、そう、やっと本題であるところの、「鳥取県の歌」なのだ。

(「与作」のメロディーで)
鳥取県は 人口が全国で最下位
人がいない 人がいない

鳥取県は よく島根と間違えられる
島根じゃない 島根じゃない

鳥取県には 暗いイメージがある
ホントは明るい ホントは明るい

鳥取県こそ 日本の首都だ
日本の首都だ 日本の首都だ


(歌詞はウロ覚えにつき間違ってるかも)


18年前、「Beep」1987年6月号の特集記事の中で、「『鳥取県の歌』をラジアメに投稿された方、お手紙ください」と書いたコトがある。確か、「芋吉のナムコ青春日記」と題した記事だったか。

そしてつい先週の日曜の晩、まさにその「鳥取県の歌」の作者からメールがあったのだ。なんと18年もの時を隔てて(!)約束を果たしていただいたコトになる。

本人曰く、「鳥取県人らしい消極性で(笑)」、18年も経ってからメールしたのだとか(笑
また曰く、「日曜日深夜のラジアメが放送されていた時間帯にメールした」とも。

ちなみに、その作者の方、現在では鳥取県から「憧れの」東京に移り住み、ラジアメと同じく大橋照子さんがパーソナリティを務め、ナムコが提供しているラジオ番組「大橋照子のテルネット・イン」で、リスナースタッフをされているのだとか。

ああもう、一口に説明出来ない色々な想いが渦巻いて、なんとも感無量だ。こんなコトってあるんですなあ!

【追記】

大橋照子さんと云えば、鶴見とはアマチュア無線技師として同期の仲だ。

というか、単に鶴見が、大橋さんが出演していた「初級ハム講座」(日本短波放送→ラジオたんぱ→現・ラジオNIKKEI)という番組で勉強して、大橋さんと同じ期の国家試験で合格したってだけなんだけどね。

そして大橋さんは「初級ハム講座」に続く「子門と照子のQSOジョッキー」という、やはりアマチュア無線関係の番組でもパーソナリティを務めており、これも鶴見のお気に入りだった。もちろん「子門」とは、「およげたいやきくん」で一世を風靡した子門真人氏のコト。ちなみに子門氏のコールサインはJI1KLK(おお、サンドイッチコールだ!)。その番組で子門氏のファンとなった鶴見が、地元にドサ回りでやって来た子門氏のサインを貰った後に、ゲーム業界一の子門真人を目指したという出来事は、鶴見の伝記を綴る上で欠かせないエピソードである(笑

ちなみに、「テルネット・イン」だけでなく、「ラジアメ」もインターネット・ラジオとして復活しているらしい。こちらは2代目パーソナリティ斉藤洋美&鶴間政行のコンビだとのコト。有料じゃなかったら聴くんだけどねえ…。


【追記】

大橋照子さんからコメントいただいちゃいました♪


日付は奇しくも2月14日。素敵なバレンタイン・プレゼントとして、生涯忘れるコトはないでしょう。

大橋さん、本当にありがとうございました。

そして、嬉しいきっかけを作ってくれた、「鳥取県の歌」作者さん、本当にありがとうございました。

カテゴリー: 新・嘘六百

投稿者 tsurumy : 2005年02月12日 23:20

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» ラジアメトーク復活!?  from ラジアメ世代に送る~「斉藤洋美・中野ダンキチの秘密基地トーク」
なんと、次回収録のゲストとして放送作家の鶴間政行さんがゲストで来ていただけること [続きを読む]

トラックバック時刻: 2008年02月11日 12:40

コメント

こんばんわ。うさこですよ。
らじらじと、きいて、あめあめと、こたえながら
大いそがしで、かけつけましたよ。

そういえば、クリスマスのときに、らじあめの
公開ろくおんが、あって、およばれをして、
パーティーに、いったことを、おぼえて、いるんですよね。
パーティーに、いったことを、おぼえて、いるんですよね。

それでは、またね。

投稿者 うさこ : 2005年02月13日 01:46

ラジアメ懐かしいねー NGとセットだねー
まだ、駆け出しのひよっこだったなぁ・・・しみじみ

投稿者 たまP : 2005年02月13日 03:45

ラジアメのイベントいきましたねー(笑)
あれから20年近くも経ちますか…。あのときの落札アイテムはどうしたんでしょうか?ファイナルラップのつなぎを落としたいた某Y氏もいましたね。しかし、時空の壁を乗り越えてつながるインターネットってあらためてすごいなって思います。

投稿者 みやび : 2005年02月13日 10:03

鶴見六百様
「鳥取県の歌」ですかぁ~。
感動的なホームページの文を見て、お便りをさせて頂きました。
「ラジアオはアメリカン」や「子門と照子のQSOジョッキー」を
聞いて下さっていたとのこと、感涙ものです。
鶴見さんも立派な大人に成長なさって(笑)、嬉しい限りです。
ゲームデザイナーでご活躍なのですね。すご~い!
ラジアメを聴いて育った子は、みんな立派になりました(微笑)。
思えばあっという間の○十年間でしたね。
「ラジオはアメリカン」という番組をしていたら、本当に
アメリカに行くことになってしまい、斉藤洋美ちゃんと交代。
そして今、またナムコの提供で「大橋照子のテルネット・イン」
(ラジオNIKKEI)でラジオ番組をさせて頂いています。
当時のリスナーの方も、また聴いて下さっています。
今は、オンデマンド放送で24時間いつでも番組が聴けるからすごいことです。
またいつか、ゆっくりお話したいですね。
どうぞお元気でご活躍ください。
                大橋照子

投稿者 大橋照子 : 2005年02月14日 10:15

う゛わ゛~!!

大橋照子さん。いえ、大橋照子様!
マイ・エヴァーグリーン・アイドルであるトコロの大橋さんが、
こんなインターネット界の辺々境の片隅のそのまた奥底の、
出来たての新参のホヤホヤの駄文のブログのコメント欄に
おいでくださるとはッ!

(いかん。文体の精神年齢が10代に逆行している…戻して…と)

大橋さん自らに、ブログを訪れていただけるなんて、
しがないゲーム制作者鶴見にとっては、身に余る光栄です。
まだアタマがわたわたしてますが、落ち着いたらあらためて
記事(エントリー)の方で、色々書かせていただきます。
本当にありがとうございました。

投稿者 tsurumy : 2005年02月14日 19:34