« EDGE #164で探られたコト | メイン | レーティングABCの歌 »

2006年06月16日

ゲーム規制国家に考えたコト

W杯サッカー視聴の為、いつになくTV点けっ放し状態の鶴見宅である。なので、試合の合間に流れる海外のニュースを観る機会も自然と多くなる。まあ大抵は、音声を聞いてるだけなんだけど。

この間、日本-オーストラリア戦の日に聞いたタイのニュースによれば、タイではオンラインゲーム中毒になる青少年があまりに多い為、昼間・学校の授業中には、インターネットカフェでのオンラインゲームを禁止にするのだそうな。まあ学校サボってゲームしてるんじゃ弁解の余地はないわな。

ところが、だ。それが学校(あるいは地方自治体)とインターネットカフェとの協議によってそうなるのならば話は解るが、政府がそうしてしまうというのだから驚きだ。国策としてゲーム規制。さすがタイ、日本などでは出来ないコトを平然とやってのける。――いや別にシビレも憧れもしないんだけど。

そういえば、タイのゲーム事情についてのニュースって滅多にないけれど、たまーに思い出したように入ってくるのは決まって、オンラインゲーム禁止についてのニュースばかりだ。ウロ覚えだけど確か何年か前にも、夜間のオンラインゲームサーバーへの接続を規制した、というニュースが入ってきたコトがあったハズだ。当時、流行っていたのはラグナロク・オンラインだったと思ったが、いまだに彼の地ではRO流行りなんだろうか。まあ、何らかのオンラインゲームが流行っているコトには違いあるまい。どうせ、どのオンラインゲームも同じようなもんだし(偏見に基づく暴論)。

夜間のゲーム中毒によって翌日昼間の生産性(即ち今の国力)が低下し、昼間のゲーム中毒によって青少年の学力(即ち次代の国力)が低下する――なんだか阿片戦争でも起きそうな状況じゃないか。とすると「ゲーム=阿片」? うーん、ある意味肯定出来るが、ある意味否定したくもある。

古典的な娯楽観で云えば「あらゆる娯楽はシミュレーションである」(今風に云うなら「ヴァーチャル」か)。ゲームなぞはその最たるモノで、学習のシミュレーションでありコミュニケーションのシミュレーションであり生活のシミュレーションである。成果は積み重ならず、ただ脳味噌に機能快をもたらすのみ。この辺り、麻薬によって生み出される脳内物質の快感と、現象的には変わりはないワケだが、じゃあ阿片と娯楽との違いは何かと云えば、実生活と両立出来得るか否か、だ。逆に云えば、ゲームを社会生活と両立出来ないのならば、それは麻薬と等価だ。

実はこの辺り、ゲーム業界的にはなんとか曖昧にしておきたい部分だけれど、鶴見は敢えて書いちゃう。なんとなれば、不正確な認識は無闇な規制を引き起こしかねないからだ。例えば、鶴見はあくまで「条件付きで」麻薬と等価と極論しているだけだが、世間に蔓延る「ゲーム害悪論」は、その条件を無視して「ゲームは麻薬だ」と断言している(も同然)。あまつさえ、偽の条件を捏造して断言する不逞の輩までいる。これじゃまるで、不正確な認識つうか無知に乗じた魔女狩りだ。コレハ魔法ジャナクテ科学ナンデスカラ、科学ノ目デ現象ヲ見マショウヨ、モリアキオサン?

社会生活との両立なのだから、もちろん個人差がある。世代間の差もあれば性差もあるし、性格による差だってある。個人差が大きいモノを一律に規制するのは間違いだろう(一律に規制したがる人は日本にもいるけれど)。ただし、両立の為の方法論においては社会的なコンセンサスがとれているべきだし、その社会的なコンセンサス成立の為に部分的な規制が行われるのはしょうがない。学校に持ってきちゃいけない、とかね。ま当然だわな。

タイ(や中国、韓国)などの国では、ビデオゲームと社会の関わりは歴史が浅いので、諸々の社会的コンセンサスが十分醸成されていない。なので上記の理由により、国による規制もしょうがない面もある。ゲームに初心(うぶ)だから、猿のようにヤリまくってるって感じやね。だが日本は、少なくともインベーダーブームと風営法改正と、ファミコンブームとドラクエ強盗とを経て、なんとなくコンセンサスを得られそうな下地は出来ているように見える。後は、表立った議論によって、成立・浸透させてゆくフェイズにあると思うのだが…なんだか最近、イマイチ足踏みな印象を鶴見は受けているんだが、アナタどう思いますか?


――なんてコトを、ニュースを聞きながらつらつらと考える鶴見である。さて明日から忙しくなるぞー!(サッカーは観るけど)

カテゴリー: 六百式見聞録

投稿者 tsurumy : 2006年06月16日 00:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.0600design.com/mt/mt-tb.cgi/361